NYでDJ pt.1
こんにちは。
学校が始まってから全然書く暇がなくて、まぁ書こうと思えば書く時間はあったけど、結構これ書くのも気力がいるもんで.......w
とりあえず、変わらず元気にやってます。
実は最近ルームメイトの先輩の紹介でDJを始めたんですよ。
いや学生の頃、ちょこっとDJをやってて.... 当時は自分なりにガチでやってたけど22歳ぐらい?で現場からは離れてしまった。今思うと、DJの楽しさというものを知らずして辞めてしまったんだなって思う。いや知る資格もなかったし、スタートラインにすら立ってなかったか。っていうのはこっちで職業としてDJをやってる先輩達のプレーだとかDJとしての考え方を見たり聞いたりしてる中で、オレもDJやってたけど、オレがやっていた事はいったい何だったんだろうか? 当時のあのシーンは何だったんだろうか?と思えてきた訳で...
当時、自分の周りの若手とかはもうプレーどうこうじゃなくて集客出来るヤツがイケてるみたいな風潮だったしオレも完全にそのマインドだった。っていうか同世代のほとんどのDJがそうだったと思う。もうDJって言うか夜な夜な集客合戦!ちなみにMIXI全盛でMIXIでの集客合戦は今思えば異常だったねw あとは''集客ナンパ''なる言葉が存在してたけどこれも可笑しな話だよねw イベント終わって今日のプレーどうだったかなって振り返るのが本来のDJのあるべき姿だと思うけど、当時はみんな集客を気にしてた。というかもう若手はそのイベント中ずーっと集客を気にしてたと思う。当時全盛の頃のVUENOSで一晩40人ぐらい呼んでいれば一安心。客呼べてる事に快感を得ていた自分がいたのも大いに事実だし、あのVUENOS全盛だった当時のクラブシーンに身を置いてるっていう事にかっこよさみたいなモノを感じていて、極端な話しDJは二の次ってのが事実だったかもしれない。 現場から身を引いた理由も客呼べて無いのに出させてもらっている事への罪悪感からだった。もぉ本末転倒w ダサすぎる。まぁでも集客するために週4とかでクラブ(これでも甘い)行って色々得たモノもあるけどw... ほぼ毎日クラブに顔出しして集客ナンパしにくる奴は偉いっていう風潮もあったなw「お。お前いいねぇ」って。みんなオーガナイザーにペコペコw オレもそうだったw 当時の周りの若手DJってプレーの話題、音楽の話題よりも集客の話しばっかりしてた様に思うし、極端な話しみんなDJという名前がついた集客マシーンだっただけかもしれないw 別にDJというものに純粋に向き合って無かったわけじゃ無くて、当時のシーンがそれで、それがDJであり、それがやっている証であり、それがかっこ良かったって言うところもあったと思う.... でもそれが行き過ぎた.... あくまでオレの妄想だけど。そんなのオメーだけだよとは言わせないw
DJ集客 ってDJネームで活動すりゃ良かったわw
要するに、なんの知識も苦労も無い若者がScratch Liveという魔法のような機材を手にした事によって勘違いをし、勘違いしたまま辞めたという話w
あれは''誰でも即クラブDJデビュー時代''の到来だったのかもしれないw
SLの登場で色々とDJとしての順序が狂ってしまったのでは?
MIXIもあのシーンの象徴だな
何事も簡単に出来てしまっては本来の楽しみを味わえずに終わってしまうのかもしれない。
で、NYで初DJをした訳ですが....
NYでDJ... ちょっとやってみたい気はしてたけど何せオレの場合色々と壁がありすぎるから無理だなと考えた事も無かったんですが先輩に「ここでやってみるか?」って誘われて
オレも全然自信が無かったので、無理ですと最初は断ったんですが、何とかなるやろ?!と言われるがままに....
なにせ
2年ぐらい機材にまったく触れていない。
基本90's好きなので新譜全くわからない。
自身初MIDIコントローラーでのプレー
客が日本人ではない
そして最大の壁...
プレー時間4時間強
これはもう未知の世界....
というほぼ全てが今までとは異なる次元になるであろうイベントを当日の4日前に任された訳w
まずSeratoのソフトのダウンロードから始まり.... w
切りが悪いですが、眠たくなってしまったので寝ますw
続きは次回....